2005年を振り返る(前編)

19歳の誕生日

今日は私のヲタ活動の1年(前半)を振り返りたいと思います。日記始めて以来の大長編です。途中消えたりもして、合計7時間を要しました。(汗)
不快に感じる表現も多々あるとは思いますが、ご容赦下さい。




2005年1月


亜弥と最後に会ったのが2004年12月上旬のスポフェスだったので、とにかく早く亜弥に会いたいという気持ちが強かった。
大阪ハロコンは日程が合わなかったので、名古屋のハロコンへとりあえず行った。
でも、冬ハロコン紅組のチケ代は高騰していて手が届かなかった・・・。
結局名古屋行ったのにも関わらず、紅組は見れなかった。
それでも亜弥に会いたくて、諦めきれなくて白組を見ることにした。
ごっちんBerryzとかなり楽しめる内容だったのにも関わらず、私の心はここにあらずだった。
・・・亜弥に会いたい!あるのはその気持ちだけだった。
アンコール時のハロープロジェクト全員による『ALL FOR ONE&ONE FOR ALL!』。この時にようやく亜弥が出てきた。
約1ヶ月半ぶり、そして2005年初めて亜弥に会えた喜びで号泣した。「やっと会えた!やっぱ亜弥大好きだよ!!」と、胸がいっぱいだった。




2月


2月5日の震災から10年という節目で行われた[ポップジャムin神戸]に参加。
ここでテレビ初披露である『ずっと好きでいいですか』を聴く。体が震えた。ものすごく感動した。

私は昔、亜弥へのファンレターに次のように書いた事がある。
「音楽は誰にでも平等であり、歌は自分の想いを人びとに伝え、人と人の心を通い合わせる架け橋だと思っています。
あなたの歌と笑顔は聴いてる人を励まし、幸せにします。
兵庫出身、いや歌手松浦亜弥としてどうしても歌っていただきたい!
松浦さんなら絶対にできます。震災を実際に体験されたのですから。当時の出来事を省みると共に、希望に満ちた未来を思わせる力強い歌を歌ってください!」


これが実現した記念すべき日だった。亜弥は私の願いを叶えてくれた。うれしくて、うれしくて、興奮が冷めなかった。




2月25日


待ちに待った『101回目のKISS』座間初日。
セットリストがわからないので、1曲1曲流れるたびに「うおーーーーーっ!!!」と叫んでた気がする。w
ナビ壊が流れた時の衝撃はすごかったし、アカペラのドキラブ聴いた時は涙が止まらなかったなあ。
公演後ヲタ友と「何で亜弥コンってこんなにおもしろいんやろ?最高やな!!」と抱き合いながら亜弥ヲタである喜びを噛み締めた事を覚えている。
・・・結局25・26日共昼夜4公演全部観てしまった。(笑)




3月


3月といえばまずフライデーの件。
私はその事を3月3日に知り、3月4日に実際フライデーを買って見たわけだが、ショックのようなものはなかった。
まあ、私にとって亜弥は恋愛対象でないという事が一番大きかったと思う。
この件については何年も前から言われてる事だったし、それが公になっただけという気持ちしかなかった。
むしろ続いてるのがわかって「よかったやん」と思ったくらい。・・・18歳の女の子が恋をするなんて当たり前の話。亜弥は全く悪くない。マスコミや世間が騒ぎすぎなんだよ。
自分的にはこの件で亜弥が益々好きになれた。




3月21日


『101回目のKISS』豊田公演夜に参加。この日は夕方まで仕事があって、仕事後ダッシュで京都駅へ向かい、のぞみに乗った記憶がある。
座間コンから約3週間経っており、その間例の件もあったりで、とにかく亜弥に会いたかったのを覚えている。
公演中のMCで「お騒がせしてすみませんでした」と頭を下げ謝る亜弥を複雑な心境で見た。何も悪い事してないのに、かわいそうになあと思った。
それとは別にハワイツアーまで5日という事で、ライブを見てテンションが上がった。




3月26〜3月30日


松浦亜弥ファンクラブツアーin ハワイ vol.2』
この1年で最も印象に残ってる事といえば、やはりこれだろう。
vol.1は仕事関係でどうしても行けなかったので、何としてでも行きたかった。また、初海外ということでもあったので、胸は高鳴るばかりだった。


1日目は移動とハワイハロショに費やして、本番は2日目からだった。
『2ショット撮影』これはもうマジ心臓が止まりそうだった。
亜弥がありえないくらいかわいかった!
そのあまりのかわいさに失礼ながら本人見た瞬間「うおっ!マジかよ!!」と叫んでしまった。(爆)
そうこうしてる間に自分の番が来た。イカン、頭が真っ白だ!
テンパってる私にすごく丁寧なお辞儀と挨拶をしてくれ、リクエストに答えてくれる亜弥。その笑顔がかわいらしくて、まぶしくて、すごく優しかった。
私の大好きな曲ドキラブのCDを持ってもらって写真をとってもらった。感無量である。撮影後、これまた丁寧にお辞儀をしてくれる亜弥。私はもう色んな意味で限界だった。
撮影後、放心状態。あの亜弥とゼロ距離で、しかも2ショット写真を撮ってしまった・・・。テンパりまくってた。
私だけじゃなく、もちろん他のヲタ仲間もね。(笑)
でもこれはまだ序章にすぎなかったのである。


その後○×クイズをして、ハワイアンクラフト作りをした。
亜弥が作ってるファンの巡回に来る。
私「(クラフトを見せながら)亜弥さん、これどうですか?」
亜「(私のクラフトを触りながら)うん、網目が細かくていいと思います!」と言ってくれた。ものすごくうれしかった。
いつもは遠い存在である亜弥と、ゼロ距離で話ができる喜び!
今考えたらありえないよな〜。でも、あの時はそれが普通に感じられた。


その後、ハワイアンウォーターズアドベンチャーパーク内にある宝を探す『宝探しゲーム』が行われた。
亜弥の「よーい、スタート!」の声で、私は一目散にダッシュした!
宝を探しに?否。そんなわけがない。亜弥の元である。ホントの宝は松浦亜弥に決まってるだろ!と心で叫びながら亜弥のいる所へ走った(爆)
亜弥の目の前で「亜弥〜〜行ってくるよ!」と、叫びがっつく自分。(バカです)
とはいえ、同じ事を考える人は結構いた。
そんな我々ヲタに「みんな時間がないんだから早く行って!」と苦笑する亜弥。あれはおもしろかった。
・・・ハワイツアーDVDを見ると、見事にその場面が晒されてて笑けた。後、隣りにいた人がヲタ仲間だった事にも笑った。
ヲタの思考はみんな同じなんだなあ。w
この日はグループ撮影で終了。


3日目は朝早くからライブの席の抽選会が行われた。
とにかく眠かった。早く終わんねーかなと思ってたら、サプライズで亜弥が登場!眠気なんて吹っ飛んだ!!(爆)
前日同様髪をおろしていて、ありえんくらいかわいかった。
私のHDDはこの時点で容量いっぱいでフリーズ状態。
まさにトロピカル夢の島。私の脳内でトロ恋が流れた。
朝一発目から亜弥と対面って、絶対ありえないし。
わけわからんけど、とりあえず笑顔で亜弥と話そうと思って舞台に上がり抽選した。亜弥、かわいかったなあ。
・・・しかしこのシーンがまさかハロモニで晒されるハメになるとは(汗)

昼からは抽選会とライブが行われた。
ライブではなかなか聴けない『待ち合わせ』や『デート日和』を歌ってくれたので、うれしかった。
・・・でも亜弥、歌詞間違いすぎだよ。(苦笑)


そしてついに最後のイベントとなる握手会
握手をしながら亜弥と色々話す。
離れ際に私は亜弥と一つ約束をした。
「これからもずっと・・・一生応援します!」
亜「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
これにより、一生亜弥ファンであり続ける事が決定。w
亜弥との約束だからね。絶対破るわけにはいかないよ。


帰りの飛行機で物思いにふけった。2日間亜弥を見続けて思った事は『亜弥は優しくて思いやりのある人間』である事。
そんな亜弥の人間性とハワイでの出来事を思い出したら涙が溢れてきて、マジ泣きしてしまった。
機内食何食べたか覚えてない。塩味がした事だけ覚えている。
・・・松浦亜弥のファンでよかった。こんなすばらしい子に出会え、好きになれてよかった。私は本当に幸せ者だ。
と、涙ながらに幸せを噛み締めた。




4月

赤いフリージアの奇跡』
4月で印象が残っている事といえば、4月23日の『101回目のKISS』愛知公演である。
ヲタ友が昼6列、夜最前ど真ん中をひいてくれたのである!ハワイツアーの後という事もあり、テンションがありえないくらい上がった。
夜公演時、まずスケブを使って亜弥にハワイツアーのお礼をした。驚いた顔をした亜弥の顔が忘れられない。w
そして亜弥が赤いフリージアを歌っている時に準備していた赤いフリージアをとりだし見せた。その時の亜弥の満面の笑みが忘れられない。
その後のMCでも「今日わざわざフリージアをもってきてくださった方もいて」と触れてくれ、うれしかった。
最高の公演だった。チケを譲ってくれたヲタ友にホント感謝している!


さらに次の日の後浦コン京都公演も3列目という良席だった。
赤フリ事件が前日だったという事もあり、亜弥に手を振ると気づいたように笑顔で振り返してくれた。
「もしかして覚えられたかもしれない!」そんな事に喜びながら、反面不安な気持ちもあった。
・・・ヲタとしていつかは来るであろうと思ってた『ヲタの壁』にぶち当たったのがこの頃だった。




5月


松浦亜弥が大好きだ!」という気持ちと暴走は止まらず、G.Wは亜弥に全て捧げた。
5/3 中野サンプラザ  昼夜
5/4 中野サンプラザ  夜
5/5 中野サンプラザ  昼夜
5/6 京都で仕事
5/7 大阪厚生年金会館 昼夜(ソロファイナル) 
5/8 大阪厚生年金会館 夜 (後浦ファイナル)


・・・6日中5日亜弥に会った。5日で8公演行った事になるのか。この8公演はほとんど1桁台の列で見た覚えがある。
亜弥の近くに行きたい、レスが欲しいという気持ちだけで何万円もつぎこんだ。
この頃の亜弥は腰を痛めてたんだよな。腰の辺りのサポーターがすごく痛々しかった。
それでもやりきった亜弥のプロ意識の高さに感動した。


5月半ば〜6月半ばまでは仕事が忙しくて、ヲタ活動あまりできずだった。<個人的な事ですが、仕事で4月に異動があり5・6・7月はめちゃくちゃ忙しかったです。何時間働かせるねん!っていうくらいね。仕事で精神的に追い込まれてて少し鬱入ってました。病院行く直前って感じでしたね。>




6月


6月16日
パシフィックヘブンで行われる松浦亜弥ファンイベント(80人限定)に当選したので、東京へ向かった。
イベント時ファンセレクトで『私の予定』を歌う事になったが、亜弥は歌詞を覚えてなくて散々だった。(苦笑)
亜「私は遠距離の恋愛がくると思ってて、私の予定はあまり
自信が・・・」
ファン「ええーーー!」
何だよそれ。(爆) 全く亜弥は・・・。


そういえば質問コーナーで『作詞はしないんですか?』というのがあったな。それに対して亜弥は「20歳になったら作詞したいと思います」と答えてた。
20歳って後約7ヶ月じゃないか。w
ホントにしてくれたらいいな。


そして握手会の時に、4月23日の愛知コンでのフリージアの話をした。
私「これ(チケットホルダーの中のフリージアの写真を指差す)赤いフリージアなんですが、愛知公演の時・・・」
亜「(私の話を遮り)ああっ、見ました!
私「(握手しながら)あの時の・・・」
亜「うん!!ありがとうございます。そうだったの!」
・・・うれしそうに答えてくれる亜弥。覚えてくれていた事に、私は胸がいっぱいだった。そして自信をもって言えた。
「俺は亜弥を愛している」と。




6月18日
HPP大阪豊中公演。実はこの公演が私にとって初めてのHPPだったりする。(滝汗) まあ、仕事が忙しかったし仕方ないか。
ソロコンとは全く違う視点で観れて、なかなか楽しめた。


6月19日
HPP静岡富士公演。
昼が最前左端。夜が2列目ど真ん中という、超良席だった。
チケの手配をしてくださった方に感謝感謝。
あの大連番ありえないくらい楽しかったなあ。
そういえばこの日、知り合いの男女2人がボード使って亜弥に6/25に結婚する事を伝えてたな。すごく印象に残っている。亜弥が縁で結ばれた2人・・・すばらしい事だと思う。



そして、6月25日の亜弥バースデー紺を迎える事になったのだが6月20〜24日の間、誰にも言ってないが実はものすごく悩んでいた。それは「亜弥ヲタ辞めようか?」という事。


原因①『ヲタの壁』。
3月のハワイツアーから6月19日の富士公演までの間、ゼロ距離&紺での超良席が多すぎた。これまで、そしてこれからももうこんな事はないと思う。
・・・亜弥をあまりにも近くで見すぎた。
この3ヶ月でファンとしての頂点、限界を見た気がした。
そして今後自分はどうすればいいのかわからなくなってしまった。


原因②『本末転倒』
私は今までライブに行く時は【松浦亜弥を応援する】事に重点を置いてきた。(もちろん自分が楽しむというのもあるが)
でも、この時期の私は亜弥を応援するというより【亜弥からのレスが欲しいが為】にライブへ行ってた。
それはお金をつぎ込んで前の席に行こうとする自分の行動からも見てとれる。『亜弥主体』のライブがいつの間にか『自分主体』のライブになっていたのだ。
応援の延長でレスがくるのならいい。でも、レス欲しいがために応援するというのは本末転倒もいいところである。
そんな自分が嫌になった。亜弥ヲタを名乗る資格すらないと思った。


原因③『精神と肉体の限界』
これが一番の原因だと思う。先にも述べたが、この時期仕事がありえないくらい忙しくて精神的に追い込まれていた。
朝から夜まで仕事して、夢でも仕事して、また朝から仕事に行くという有様だった。
また、平日と休日とのギャップがあまりにもありすぎて、自分をコントロールできなくなっていた。
ライブ中も「俺は今ここで何してるんだ?仕事しないといけないんじゃないか?」など考えてしまい、集中できない。
ライブに行く事が現実から逃避しているように思えたりもした。
こんな状態でライブに行くのは亜弥と亜弥ヲタのみなさんにあまりにも失礼である。
だから現場から離れて遠くから亜弥を応援した方がいいかもしれない、と思った。


亜弥への愛が最高の今の状態で、亜弥の19歳の誕生日という節目を機にヲタを辞めるのもいいかもしれない。いや、辞めるなら今しかない!と思った。
だからこそヲタ友の『亜弥の誕生日に寄せ書きしてプレゼントしましょう』という企画にものった。彼女のために何かしてあげたかった。
そしてついに【その日】はやってきた・・・。





6月25日(運命の日)


この日も仕事があった。何とか切り上げ神戸の会場に向かう。
昼公演が終わり、ついに夜公演が始まろうとしていた。
ヲタ友との企画もうまくいき、多くの方々に寄せ書きしていただけた。とてもうれしかった。感謝してもしたりない。
・・・でも自分的には複雑な心境だった。


そしてついにバースデー紺夜公演が始まった。
始まった早々、私は泣いた。これで亜弥と(現場では)お別れかと思うと悲しくて悲しくて。
そんな私の気持ちとは裏腹に、ライブはどんどん進行していく。
そして『あなたなしでは生きてゆけない』後のMCで、ケーキ出現!みんなでハッピーバースデーを歌い、亜弥が蝋燭を消して、ケーキに鼻を突っ込んだりして。w
あれはホント感動した。
ライブ当初の悲しい気持ちなぞどっかに飛んでいってしまった。いつのまにか、純粋にライブを楽しめてた。


アンコール前の『笑顔に涙〜THANK YOU DEAR MY FRIENDS』。あれはかなり効いた!亜弥の曲の中で2番目に好きという事もあるけど、それ以上に歌詞がヤバイ。
「また会えるからきっと会えるから また笑顔してきっと会えるから ねみんな言葉じゃ交わさない 約束なんだよ!」
仲間との再会を約束する曲『笑顔に涙〜THANK YOU DEAR MY FRIENDS』。 亜弥ヲタを辞めようと思ってた私の心を揺さぶった。


そして忘れる事のできないアンコール時のピンクサイリュウム祭。鳴り止まない『あややコール』。
その時の亜弥の驚いた顔、そして幸せそうな笑顔!
その笑顔がとてもかわいくて、まぶしくて私の心を支配した。
さらに追い討ちをかけるように、私が亜弥の曲の中で1番好きなドキラブ(アカペラver)が続く。
最高だよ、この時の亜弥の表情は最高だよ!
さらにさらにドキラブにアレンジを加え「ハッピーバースデーディア亜弥ちゃん」と歌うメンバー。w
もう、ダメでしたわ自分。(号泣)


『ALL FOR』が終わり、亜弥は最後に「私、もっとがんばります。もっともっと大きくなります!」と言った。
そんな前向きな亜弥を見て、「自分もがんばらないといけないな」と思った。
ホント最高のライブだった。ファンの亜弥への愛情をものすごく感じたし、亜弥の最高の笑顔を見る事もできたし。
この空気、居心地の良さ!たまらなく好き、大好き!!
やっぱ亜弥ヲタはやめられないと思った!!
これからも仕事とヲタ活動の間で摩擦が生じるだろう。不安はたくさんある。・・・それでも何とかやっていけそうな気がした。
いやそれどころか、亜弥と亜弥ヲタのみなさんのおかげで、その自信さえついた。亜弥ヲタとして、また一つ殻を破る事ができたと思う。


2005年6月25日は松浦亜弥19歳のバースデーであると共に、亜弥ヲタとしての私の新たな旅立ちの日になったのである。