『あやすた』を想う

昨日自分のパソコンのフォルダを整理してたら、『あやすた』というフォルダが出てきました。
保存していたメイン板、フリー板等を久々に読んだわけですが・・・いやー、懐かしいですね。w


あやすたについて一応説明を。
『Ayaya-Style』ことあやすたは、間違いなく日本で、いや世界で最大の松浦亜弥ファンサイトでした。(2004年12月に閉鎖)
松浦亜弥が好きなら老若男女を問わない、初心者からベテランまで楽しめるすばらしいサイトでした。
亜弥が好きな者同士が語り合う場・・・とても居心地のよい空間でしたね♪



あやすたの存在を初めて知ったのは2001年の7・8月でした。
ちょうど松浦亜弥に興味をもって、色々調べてたらこのサイトに出合ったんですよね。w
その時はまだ小さなサイトだったけど、気になってずっとROMってました。カキコみはしなかったわけですが・・・。
こういうファンサイトに書き込んでる人達ってたぶんイタいんだろうなっていう偏見のようなものがあったんですよね。特服着てるような人が集まる所なんだ、みたいな。(汗)
なので、書き込む勇気がなかったんですよね。


2002年は『ファーストデート』と『Yeah めっちゃライブ』があったわけですが、この時私はいつも一人で参戦してました。
亜弥はかわいいしライブもいいので楽しかったわけですが、ライブ後の帰りのなんとまあ寂しい事!『この感動を分かち合う仲間が欲しい』と思いながらも、声をかける勇気すらなかった私。
グループで参戦している人達を見る度「一体あの人達はどうやって知り合ったんだろうか?羨ましいな」と思ってました。
仲間が欲しい・・・でもどうすればいいのかわからない。


2003年1月。「松浦亜弥が好きな人と知り合いたい!」という気持ちがいよいよ強くなり、押さえきれなくなって、ついにあやすたのフリー板に『はじめまして』スレをたてました。
「スルーされるかもしれないけど、その時はその時だ!」と思い、小さな勇気を振絞り、冷や汗を流しながら震える手つきで書き込んだ事を覚えてます。(苦笑)
すると数時間もたたないうちに、あやすたの方々から多くの温かいレスをいただきました。みなさんの優しさに感動して涙が出そうになりました。まさかこんなに歓迎していただけるとは思ってなかったので。
ROMから約1年半・・・ついに私は『あやすた人』になったわけです。w


とはいえ、急に環境が変わるわけではありません。
2003年冬の松浦亜弥ミュージカル『草原の人』も結局1人で観に行きましたし。
同時期、あやすたで2003年3月8日で大阪オフ会が行われる、みたいな事が書かれてました。色々考えた結果、参加させていただく事にしました。「あやすたの方と生で会える!」という喜びと不安が入り混じった状態でしたね。
そして大阪オフ会ですが、かなりヲタヲタしいものでした。(爆) 
「これがヲタと呼ばれる人達か」という新鮮さと驚きがありましたね。大阪オフ会はネット上でしか知らなかった人達と実際に出会える楽しさを教えてもらいました。w


2003年の『松リング』と『ヒットパレード』の時、私はもう1人ではありませんでした。大阪オフ会の時に知り合ったブラマジさん経由で、今の関西組の猫くん、課長、masatoくんらと知り合いました。関西で行われる亜弥紺では、いつも一緒でしたね♪


2004年になり、「もっと亜弥ヲタ仲間を増やしたい!」と思った私は、あやすたやフライヤーでずっと気になっていた『あややナイト』に単独で乗り込みました。
そこでクニオさん、ひこりこさん、みっふぃーさん、ISO君、ますあや君、はまソさん、ひでみゅん達と出会ったんだよなあ〜。(ほとんどがあやすた人)
みなさん亜弥にアツくて、感動した事を覚えてます。
特にひでみゅんとの出会いは、私がヲタ活動の大きな転機になったと思います。w


2004年春『私と私とあなた』ツアーが始まったころ、ひでみゅんがこんな事を私に言いました。「KENJIさん、遠征しませんか!w」
その当時の私は遠征など無縁の人間でした。そもそも何故亜弥を観に他府県まで行かなければならないのか?
関西来たときに行けばいいやん、みたいな考えの人間でした。
・・・まあ、一度くらい遠征するのも悪くないかと思いノリで「行こう!」と言ってしまいました。


2005年5月東京のNHKホールで行われたライブが私の初遠征亜弥紺です。この時、あやすた管理人のおりゅうさんを始め、多くの関東のあやすた人と出会いました。
「あ、あなたが○○さんですか!」みたいな驚きと感動があり、とても楽しかったですね。ネットの先には人間が確かにいるんだと、改めて思いました。
亜弥紺自体もよかったし、言う事なしでしたね。
関東のあやすたの方々との別れ際の言葉は
「じゃあ、またあやすたで!」でした。
住んでる所は離れてるわけですが、心の距離は全く感じませんでしたね。あやすたというサイトが確かに私達を繋いでくれていました。


遠征をしたら亜弥に会えるし、あやすたの方々にも会える。
遠征をする度に仲間が増えていくこの喜び!
この楽しさを知ってからというもの、遠征がやめられなくなりました。『松クリスタル』では全国を飛び回りましたからね。(爆)
全てがうまくいってました。とてつもなく幸せでした。この幸せがずっと続けばいいのにと思いながら、いつも通りあやすたを開いたらとんでもない事が書かれてありました。
『あやすたクローズについて』
・・・
・・・
・・・えっ?何?どういう事?
一瞬自分の目を疑いました。でも確かにクローズって書いてある。
掲示板のみなさんの書き込みを見たら、クローズについて色々カキコまれていました。
冷水を浴びせられたようでした。だってあやすたは自分にとってホームでしたもの。このサイトがあるからこそ、全国のあやすたのみなさんと話ができたのに。このサイトがあるから、ここまで亜弥の事を好きになれたのに!
あやすたがなくなるなんて、信じられませんでした。一体私はこれからどうやって亜弥を応援していけばいいのか、あやすたの方々とどうやって交流していけばいいのか、わからなくなりました。
その日は涙が止まりませんでした。


・・・でも、管理人さんも苦渋の決断だっただろうと思い、クローズという現実を正面から受けとめようと決心しました。
そして残りわずかな時間、あやすたをしっかり楽しもうと思いました。


あやすたクローズ直前の2004年12月はじめ、東京で『あやすたファイナルオフ会』が行われました。
全国のあやすた人が集い、それはそれは楽しいオフ会でした!
みなさんの笑顔が、今でも心に残っています。
オフ会から数日後、ついにあやすたクローズの瞬間がきました。
多くの仲間と見守る中、一つ一つページが消えていきました。
本当に終わったんだ・・・と思い、トップページを見直したらクローズと書かれてました。それはそれはきれいなクローズ画面でした。そして板をみると、管理人があやすたのみなさん全員にレスをされていました。
その一つ一つを読んだわけですが・・・。もうダメでしたね。
悲しさと感動でずっと泣いてました。


あやすたは一つの文化でした。そして私にとってはホーム・・・いや、学校のようなものでしたね。
まさに母校ですね。w あやすたには育てていただきました。
あやすたのおかげで亜弥の事をたくさん知ったし、亜弥を大好きになれましたし。そして何よりも多くの仲間と出会えた・・・。
松浦亜弥を愛するみなさん。そんなみなさんが私は大好きです!
あやすたでの経験、仲間との出会いは私の人生の宝です。あやすたがなければ今の私はいなかったと思います。
『あやすた』本当にありがとう。



久々にあやすたのページを見たら、色々思い出し長々と書いてしまいました。(汗) 
思えば、私が自分の日記で亜弥の事をたくさん書くのは「あやすたがあった頃にもっと書き込んでおけばよかった!」という後悔があるからかもしれません。

・・・あやすたの思い出話を、みなさんともしたいですね。
あやすた同窓会とかないかな?(爆)