亜弥ヲタ活動について(後編)

前編の続きです。



第5期 [怒濤の遠征時代] 2004年10月〜2005年2月


もう何回も日記に書いてる事だが、松クリでは遠征しまくった。関西での公演はコンプしたし、広島、栃木、徳島、佐賀・・・。色んなところへ行った。
全てが初体験だったなあ〜。昼バス、フェリー、飛行機、寝台特急。乗り物内で睡眠とったり、カプセルホテル探したり。
目に入るもの全てが新鮮だった。
色んなところへ行き、色んな人に出会い、大好きな松浦亜弥に会える・・・。
あんな素敵な時間はなかったなあ。自分にとって、亜弥ヲタ青春時代はまさにこの松クリツアーだった。
一生の思い出だと思う。


この頃だったかな?いよいよ自分がイタいくらいの亜弥ヲタになったって自覚したのは。(笑)
どんどん松浦亜弥にハマッていった。


あと、忘れられないのは2004年の12月だな。あやすたがついに閉鎖される事になった。自分にとっては、遠征の楽しさがようやくわかってきた矢先の出来事であったので本当に残念だった。
あやすたがなくなったら、亜弥の情報が入ってこない。大好きな仲間とも交流できない。お先真っ暗状態になった。
・・・関東でのあやすたファイナルオフ会に参加して、多くのあやすた人と出会い、そして別れた。すばらしいオフ会だった。



第6期 [必死ヲタ時代] 2005年3月〜2005年6月


この時期は松浦亜弥と急接近した時だった。ハワイツアーへ行き、松浦亜弥という人間の素晴らしさに感動した私はそれまで以上に彼女を愛する事になる。そんな時、ひでよし君が亜弥紺愛知公演の最前中央を当ててくれた。「赤いフリージアを見てみたい」と言った彼女の願いに答えるべく、2人でフリージアを振りかざしたり、スケブでハワイのお礼を伝えたり。
そんな俺達に亜弥は(誤爆ではなく)満面の笑みとコメントを返してくれた。思い出に残る公演だった。


この次の日京都で後浦コンがあったが、自枠で3列引いてしまって、いつも通り応援してたら目が合った。その瞬間、にこっと笑ってくれた彼女。(これは誤爆の可能性ありw)
「えっ?もしかして覚えてくれてるの?」と驚き、喜ぶ俺。
ヲタって単純だね。
もうダメですわ。ここまできたら、誰も俺を止められない!


誠に恥ずかしながら、この頃はヤフオクで1桁ばかり買ってた。中野公演あたりは特にひどかったなあ。1公演で2〜3万は使ってたし・・・。(汗)
この後の公演も、最前や2列というありえない良席祭だった。
東京の80人イベントにも当たったし、この頃一生分の運を使いきったと思う。(爆)


↑の良席祭によって、私は亜弥ヲタとして大きな壁にぶつかった。たぶん必死系の人なら1度はぶつかる壁なんだと思う。
こっちがどんなに接近しようと思っても、所詮芸能人とファンという関係。こんなの当たり前の事。わかってる、わかってるんだけど・・・。すごく切なかった。色々悩んだ。


この頃の自分は松浦亜弥に会いたい、歌声を聴きたいという気持ちなんかより、亜弥からのレス、反応が欲しいという気持ちの方が多きかった。だから3F2Fとか、1F後ろとかはありえなかった。彼女の視界に入りたかった。自分はここにいつもいるよってアピりたかった。


本末転倒だね。亜弥の本意(みんなに歌を届けたいという気持ち)を忘れて何やってたんだろう。
今ではそんな気持ちは全くないな。3Fでもどこでもいい。
彼女の笑顔が見れれば、歌声が聴けたらそれで幸せだもん。
・・・ヲタ活動をしてる以上、必死になる時期って必ずあると思う。でもその時こそ、初心に帰るべきだと思う。



第7期 [亜弥ヲタ全盛期] 2005年7月〜現在


必死な時代も終わり、今では理想的な亜弥ヲタ活動ができていると思う。「自分にできる範囲内で最大限松浦亜弥を応援する」をモットーに毎日を送っている。
仕事あってのヲタ活動、これは当然の事。
この両立こそが、充実した人生を送る事だと思っている。


最近思う。今が一番楽しいヲタの全盛期だって。
私の年齢は26歳・・・。ヲタ活動をするにおいて、今が一番動きやすくて、都合の良い時期だと思う。
遠征にも慣れ、ヲタとして大概の事を経験したし、何よりも多くの亜弥ヲタと交流をもてている。
亜弥を愛する同じ仲間と話し、亜弥紺に参戦し、公演後お酒を呑み喜びを分かち合う・・・。この世にこれ以上の幸せがあるというなら教えて欲しい。生きてて本当に楽しいと思う♪



これからも自分のペースで、彼女を愛し、応援していければいきたいと思います!
みなさま、こんなどうしようもない私ですが、これからも現場等でよろしくお願いいたします。