ハワイツアーへ向けて、自分のヲタ活を振り返る

KENJI06252007-09-01

久しぶりの日記です。滞ってて申し訳ございません。亜弥が好きな気持ちは全く変わってませんよ☆


今日はGAMツアーDVDや、第1回、第2回の亜弥ハワイツアーDVD等、色んなDVDを見ました。ハワイDVDを改めて見てみると、これを買った当時は知らない人ばっかだったのに、今は知ってる人が結構いてて色んな発見がありました。w
DVDを見たり、亜弥ヲタの日記を読んだり、自分の昔の日記読んだりしてて「やっぱ松浦亜弥は最高だな〜」と思いました。


GAMハワイツアーに向け、復習という意味で今までの自分のヲタ活を簡単に振り返ってみようと思います。



○2001年
この時、自分はまだ大学4年生だった。4月16日、たまたまテレビでHEY×3を見たらかわいらしい女の子が映った。その少女が松浦亜弥だった。彼女がドキラブを歌う姿に衝撃を受け、一発でハマってしまったのを覚えている。w
この年の彼女の活動は、まさに快進撃だった。紅白歌合戦に出場するぐらいだったもんね。
亜弥のでる番組を毎日チェックしては、ビデオに録画したりとかなりハマってた。この子は一体どんな歌手に成長するのだろうか?と期待しまくってた。



○2002年
1stアルバム『First Kiss』の発売を皮切りに、亜弥の快進撃は止まらず。亜弥の人気はどんどん上がっていった。
それはうれしかったんだが、2月に発売された桃キャタを自分はどうしても受け入れられなかった。松浦亜弥が完全にアイドル路線でいくと思ったからだ。亜弥はアイドルという枠で収まる器ではない。だからすごく辛かった。
そんな時、亜弥がライブのツアーをするという情報を得た。それが『ファーストデート』だった。亜弥の方向性に納得できなかった私は、このライブを見て松浦亜弥から卒業しようとした。
4月、Zepp Osakaでファーストデートが行われた。ライブ参戦自体が初めてだった私は、期待と不安に包まれていた。
会場が暗くなり、松浦亜弥が出てきた時は心臓が飛び出るくらいびっくりした。ブラウン管でしか見た事のない女の子が目の前にいる!「この子、本当に実在したんだ!!」と当たり前の事なのに感動した。
松浦亜弥、行きます!」
と言い、俺が嫌いだった桃キャタを熱唱する亜弥。もう目の前で起こってる事が信じられなくて、頭の中が真っ白だった。
ありえないくらいかわいいというのはもちろんあったが、それ以上に松浦亜弥という歌手、人間は自分の想像なんかよりはるかに上回る『器』をもっていたのである。
この日、自分は本当の意味で松浦亜弥ファンになった。完全に惚れこんでしまった。桃キャタ等、今まで嫌だと思ってた曲でも、亜弥の生声で聴くと良曲に聞こえた。
ファーストデートは自分にとって衝撃的だったな〜。あまりによかったから、大阪厚生年金会館での公演も行ってしまったし。(この時、めちゃホリが初披露された)
秋のめっちゃライブツアーもよかったな。この年はいい事ばっかりだったよ。



○2003年
この年で自分にとって大きな出来事は、松浦亜弥応援大手サイト『Ayaya−Style.』(通称あやすた)掲示板に書き込みを始めた事である。あやすたの存在は2001年の夏から知っていたのだが、なんか書き込む勇気がなかった。ネットで話し合ったり知り合ったりとか恐かったし。
・・・ただ、どうしても松浦亜弥について誰かと話したくなった。いつも1人で現場に行って、1人で帰ってきてたもんだから誰にもこの感動を分かち合えない。それが辛かった。
松浦亜弥について色々話をしたい!」その思いはついに爆発し、ドキドキしながらあやすたのフリー掲示板に書き込んだ。
すると、あやすたの方々は快く迎えてくれた。自分の書き込みにたくさんレスがつき、そのレスの内容もすごく温かくって・・・。嬉しくて泣きそうになったのを覚えている。
そして3月、大阪で関西オフ会をすると知ったので、参加させてもらった。「ヲタってすごい!」と思った。(爆)
松浦亜弥について話をするのは楽しかった。感動を共有できる仲間がいるって素晴らしいね☆
松リングとヒッパレの時は、現場で1人になる事はなかったな。いつも誰かと話してた。あと、参戦する範囲が増えた。2003年は関西圏での亜弥紺なら行くようにした。

さて、肝心の松浦亜弥についてだが、この年はあまりいい印象がない。2001・2002年があまりにすごすぎたせいもあるが、明らかに失速していた。特にヒットパレードは『カットパレード』と呼ばれるくらい、曲がどんどんカットされてひどいもんだった。この時に離れた亜弥ヲタも多かったというし。
・・・亜弥自身、色々辛い事があったんだろな。想像するだけで胸が締め付けられそうになる。
あと、ヒットパレードで印象強い公演は奈良と姫路の公演。奈良は亜弥紺初の最前だったので、よく覚えている。
姫路は凱旋ライブという事で、テンションがすごく上がった!最後列で猫くんらと連番して騒いだのを覚えている。



○2004年
私の亜弥ヲタ活動のターニングポイントというか青春は、間違いなくこの2004年だろう。それほどこの年は色々な事があった。
まず、この年の2月に初めてクニオさん主催の大阪あやナイに参加した。踊リスト(はまソさん)がとにかくすごくて、衝撃を受けた。あややファンは本当に奥が深い!w
2次会の席で、たまたま隣に座ったひでよし君と意気投合。お互いあやすたに書き込んでたから、HNは知ってたわけだが、まさかこんな形で会うとは思わなかった。ひでよしってもっとオッサンとばかり思ってたし。(爆) あれは運命的な出会いだったな。「こんなに松浦亜弥についてアツい人がいるんだ」と思い、うれしかった。


私と私とあなたツアー中、ひでよし君がこんな事を私に言い出した。KENJIさん、東京に遠征しませんか?」と。最初は「何言ってるんだこの人は。なんで亜弥を見るのにわざわざ遠い所まで行かなければならないんだよ。関西に来た時に見たらいいやん」と思って断ったが、少しずつ考え方が変わってきた。「1回くらい遠征してもいいかな?それはそれでおもしろそうだし」と思うようになり、東京へ行く事にした。
忘れもしない、NHKホールでの亜弥紺。そこにはあやすた関係の方々がたくさんいた。今まで文字でしかやりとりをしなかった人達と直接会って話をするのが、すごく新鮮でうれしかった。「あ、あなたが○○さんですか。私KENJIといいます」という感じで、関東のあやすた人に挨拶しまくった。
そして、管理人の悪竜さんと初めて会って、握手した時には感動して涙が出そうになった。だって、あやすたがなかったら自分がここNHKホールにいるわけないし、こんなに知り合いもいなかったし・・・。感謝してもしきれないよ。


さて、この日の公演だが関西での公演とは違う感動があった。
松浦亜弥は関西圏だけじゃなく、関東でも人気があるんだなと改めて知ったからだ。松浦亜弥ってホントすごいなと思った。
公演が終わると、関東のあやすたの人に挨拶して帰った。素晴らしい関東遠征だった。私を誘ってくれたひでよし君には、本当に感謝している。


2004年は松浦亜弥にとって転機だったと思う。春ツアーの最後から、愛情イッポンの撮影、そして夏のハロ紺の時の亜弥はひどかった。仕事や私生活で色々悩んでいたんだろうと思う。
だって、この時の亜弥の目は死んでたもん。全然輝きがなく、見てるこっちが辛かった。亜弥がこんなんじゃ、ファンも離れていくんじゃないかと心配してた。だから秋ツアーが恐かった。
・・・でも、松浦亜弥はやはりただ者ではなかった。秋ツアー松クリスタルで、その不安を見事に払拭してくれた。
亜弥は変わった!彼女の輝きが前にも増して感じられるようになった。
なんか迷いから吹っ切れた感じだった。自分自身と向き合って答えが出たんだと思う。
「自分は歌手としてやっていくんだ!」という彼女の気持ちというか、気迫をものすごく感じたツアーだった。
そんな彼女に惹かれて、自分は遠征しまくった。色んな現場に行き、色んな人と出会い、色んな亜弥を見た。毎日が楽しくて仕方なかった。生きてる事にすごく幸せを感じたなあ。w


どの公演もよかったけど、中でも印象強いのは渡良瀬橋のある足利での紺と、佐賀でのファイナルだな。
足利紺でのダブルアンコールで歌った渡良瀬橋・・・。あれはもう涙なしで聴く事はできなかった。
佐賀ファイナルでは、サプライズでマツケンサンバを歌ってたなあ。大好きな松クリツアーが終わってしまった事と、松浦亜弥が大好きだという気持ちが大きくなりすぎて、帰りの寝台列車ではありえないくらい泣いてしまった。すごく思い出に残るツアーだった。


この頃、悲しい事が一つあった。それはあやすたの閉鎖である。今まではあやすたがあったから、多くの人と出会い関係を保てたのにそれがなくなってしまう。どうしていいのかわからなかった。だがそれも、mixiとの出会いでほぼ解決した。
この年12月に開かれた、あやすたファイナルオフ会は盛大だった。最高の思い出になった。
オフ会の数日後、あやすたは閉鎖された。閉鎖のページを見た瞬間、涙が溢れた。あやすたは自分にとってホームだった。ネット交流はもちろん、ヲタ活動について右も左もわからないこの私に色んな事を教えてくれて、育ててくれた。あやすた関係の方々には感謝しています・・・。
2004年はヲタ的にものすごくレベルが上がった年だった。(人としては下がったかもしれないがw) この年から完全にイタい亜弥ヲタになってしまった。



○2005年
この年で1番印象強かったのは、当然3月に行われた
松浦亜弥ファンクラブツアー in ハワイVol.2である。
熱愛発覚後間もなかったから、ファンにとっては戸惑いがあった時期だと思う。
ハワイでは2ショットにクイズ、クラフト作り、宝さがし、全体集合写真、朝のサプライズ、ライブとすごく濃い内容だった。
日本では松浦亜弥という存在は遠く、手の届かない位置にいる。歌手と客という風に、完全に分けられている。
でもハワイでは、そういう感覚がなくなるんだよな。亜弥がその辺を歩いててもがっつかないし、それが逆に普通だと思ってしまう。あまりにも彼女と近すぎて、感覚がマヒるんだよ。
ホント不思議な空間だった。
自分はこのツアーを通して、松浦亜弥人間性に感動した。
そう、亜弥は歌手としては当然だが、人としても素晴らしいのである。とても18歳とは思えなかった。(汗)
彼女の温かさと優しさに感動して、帰りの飛行機で泣いたのを覚えている。・・・握手会での「これからもずっと、一生応援します!」という約束。亜弥、俺は君との約束を絶対破らないからね。


2005年の春は101回目のKISSツアーと後浦ツアーが同時に行われたな。あのハードスケジュールを亜弥はよくこなしたと思う。腰に巻かれたテービングが痛々しくて、見てられなかったなあ。
101回目のKISSツアーで1番印象強かった公演は、愛知紺。最前中央でひでよし君と赤いフリージアを持って、参戦した。亜弥からの爆レス、コメントももらったし、すごくうれしかった。
私はハワイ以降、亜弥がどうしようもなく好きになりこの時期レス中になってた。高いお金を出してでも前に行きたかった。亜弥の近くにいたかった。たぶんほとんどが1ケタ代の席だったと思う。
いやホント、この時の自分はどうかしてた。松浦亜弥を応援しに行くというより、亜弥からのレスが欲しい、自分を覚えて欲しいという気持ちが強かった。しかし当然ながら、彼女とファンの間には一線が引かれてるわけで・・・。
まあ、ヲタを続けてると必ずぶつかる壁なんだろうけどね。今思い出すと、そんな自分が恥ずかしく、情けなくてならない。


あと、2005年といえばハロプロパーティーだな。神戸で行われた亜弥バースデー紺は感動した。うれしそうに「私もっと、もっと頑張ります!」と言ってた彼女の顔が忘れられない。
秋のHPP NEOは・・・最初は前回と内容がほとんど同じで腹がたったけど、逆に「ファンである自分が今頑張らねば!」と思い結構参戦した。亜弥自身もきちんと成長していたし、この経験が2006年の単独春ツアーに繋がったと思う。



○2006年
2006年の思い出はもうこれに尽きる!
春ツアー『Otona no Namida』
もう、このツアーはネ申以外の何ものでもなかった。自分が松浦亜弥に求めていた以上の事が実現したツアーだった。
公演が終わる度に満面の笑顔になるファン。正しいライブのあり方というか、これこそ本当のライブなんだと思う。
・・・春ツアー初日にストリングスが出てきた時は感動した。初めて唇を重ねた夜を聴いてて、あまりにも亜弥がすごすぎて体が震え、涙が止まらなかった事を覚えている。


そして忘れられないのが6/25東京厚生で行われた亜弥20歳バースデー紺。前日の24日にも亜弥紺があり10代最後の亜弥を見て、この日は20代になりたての亜弥をファンで祝福した。
とにかく松浦亜弥を祝いたい、日頃からの感謝の気持ちを伝えたいという思いが強かった。多くの方が協力し合い、成功した白サイ祭・・・。会場が真っ白になった時は感動して涙が止まらなかったよ。亜弥本人も感動して泣いてたし、大成功だったと思う。ケーキに顔突っ込んで、クリームまみれになった亜弥が、満面の笑みで歌っていた姿を私は忘れない・・・。
大切な大切な、一生の思い出になる誕生日紺だった。


夏は新宿コマ劇場でミュージカルリボンの騎士が行われた。これがもうめちゃくちゃよくて感動した!ミュージカルなめてましたわ。アヤンツ王子の勇姿が今尚、心に刻み込まれています。


秋ツアー進化の季節もよかったな。生バンドという事もあり、すごく楽しかった。バンドのメンバーも個性的でよかったよなあ。w
秋ツアー最大の思い出は、何といっても仲間との大連番だった。亜弥が好きな人と連番するのってホント楽しい♪
いいツアーだったと思う。
ただ、このツアー中亜弥が顎を本格的に痛めてしまったんだよな。最近みんな忘れがちだけど、亜弥の顎はまだ治ってないんだよ。顎関節症は、そんなにすぐ治る病気じゃないし。
亜弥は顎(と腰)に爆弾を抱えている。その事を忘れてはいけない。


2006年の最後は亜弥DSで締めくくられた。20歳になった亜弥が「乾杯!」と言った時、言いようのない喜びと感動があった。あとこのDSでよかったのはdearest.を聴けた事だな。この曲は本当に素晴らしい。



○2007年
ようやく今年か。長かった。(笑)
今年はまずエルダ紺があった。エルダ紺はよかったな〜。何がよかったって、亜弥のdearest.が聴けたからである。
この1曲が聴けるなら、遠征も惜しくないな。自分にとってはそれぐらいいい曲。


そして初夏にGAMツアーがあった。正直そこまで好きじゃなかった。だから福岡も仙台ファイナルも行かなかったんだと思う。なんか亜弥と美貴のそれぞれの持ち味が出てなくて、中途半端だったんだよなあ。それが受け入れられなかった。


8月には新宿コマで、すけだちがあった。久々に見た亜弥はやっぱ光り輝いていた。自分は亜弥ヲタなんだと、改めて思った。w




・・・と、自分のヲタ活動を振り返ってみましたが、当然ながら亜弥との思い出はまだまだあります。
なんで自分はこんなにヲタになったんだろうと不思議に思いました。自分1人でヲタ活をしてたら、きっと関西圏外への遠征なんてしなかったと思いますし、今までヲタを続けてなかったと思います。そしてここまで亜弥を愛する事もなかったとも思います。
自分1人がどれだけ亜弥を好きになっても、限界は10。それ以上はありません。でも、自分以外の仲間と知り合い、話題と気持ちを共有する事によって、それ以上になるんですよね。1人知り合えば、限界は20までに増え、もう1人知り合えば30になる。自分では到底できない亜弥の見方や考え方を、他の人はするんですよね。その視点や意見を聞き、そして自分の思う事をその人に話すこのキャッチボールがおもしろくてたまりません。亜弥ファンのみなさんとは、いつも楽しく話をさせていただき、また同時に育てていただき感謝しています。


私は松浦亜弥さんが大好きです!
そして自分1人では、ここまで深い亜弥ファンになれなかった。今の自分があるのは、ファンのみなさまのおかげです。
本当にありがとうございます!
こんな奴ですが、これからもよろしくお願いします。


以上、GAMハワイツアーに向け自分の足跡を見て、今の自分の立ってる位置を確認しました。
ハワイツアーまでに、今一度自分の気持ちを整理し、万全の状態で臨みたいと思います♪